やまそうの音ゲー紀行

音ゲーに関する幅広い話題について書きます(上達論多め)

【音ゲー考察】「エンジョイ勢」は悪なのか?

  こんばんは、やまそうです。今試験2日前の夜なのですが、なぜかこの記事を書いています。一体どうしてなんでしょうね。さて、今回のお題は最近Twitterで見かけた以下のような意見です。

 

 音ゲーで「エンジョイ勢」を自称する人達は上手くなるための努力をしておらず、その怠慢の言い訳として「エンジョイ勢」を自称しているに過ぎない。

以下、この事についてダラダラとお気持ち表明するだけになります。

 

1:エンジョイ勢とガチ勢

 この意見について考える前に、まず「エンジョイ勢」とは対極の概念として使われる「ガチ勢」との違いについて考えてみます。何となく思い浮かぶのが以下のようなイメージではないでしょうか。

エンジョイ勢…音ゲーのプレーそのもの、もしくは音ゲーをプレーすることによって得られる教養や人間関係に楽しみを見出す

ガチ勢…音ゲーのプレーそのものより高いスコアを取ることや、対人戦で勝利することに楽しみを見出す、これらの目標を達成するために試行錯誤する

 これだけではやや物足りないような気がするので補足します。エンジョイ勢の「音ゲーをプレーすることによって得られる教養」というのは、主に音ゲー楽曲についての知識を得る事や、そこから派生して新しいお気に入りの音楽ジャンルを発見する事を指しています。また、ガチ勢の「試行錯誤」というのは高いスコアを取ることだったらただ沢山プレーしたり、運指を研究したりする事、対人戦で勝つことだったら自分の苦手曲を減らしたり、相手の苦手曲を徹底的に探ったりする事を指しています。

 ここで注意しておきたいのが、「エンジョイ勢とガチ勢は両立する」という点です。エンジョイ勢寄りの人でも高いスコアを取れたら楽しいでしょうし、ガチ勢寄りの人でも音ゲーを通じて出会った曲を聴いて楽しいというのはあるでしょう。

 

2:本題

 早速ですが、一番最初の意見について自分なりの考えを述べてみます。主に自分の言いたい事は以下の3つです。

①そもそも、上手い方が偉いというのが正しくないのでは

②「エンジョイ勢」はそういう人だけではない

③とはいえ後悔しないような音ゲーとの向き合い方をしたいよね(これが一番大事)

 これだけでは何がなんやらだと思うので、1つ目から順に説明していきます。問題となっている意見についてなのですが、これっておそらく「ガチ勢」の方が上から目線で書いたものだと思います。しかし、「上手くなるための努力をしない」ということは間違っているのでしょうか?音ゲーだけに限らず、上手下手の概念がある趣味は全てそうですが、「上達したい欲」は人それぞれです。何がなんでも上手くなりたい!っていう人から楽しみながら自分のペースでゆっくり上手くなればいいや、っていう人もいます。のんびり上手くなりたい初心者に上手い人が「もっと上手くなるために努力しろ」というのはどう考えても間違ってます。それはもはや趣味ではありません。

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↑モチベの高さが噛み合わない人同士の会話

 「音ゲーが上手い人は偉い」という考えを持つ人は一定数居るんじゃないかと思います。Twitterとかでも各機種のランカーのリザルトはよく伸びますし…しかし、自分は音ゲーが上手い人は"凄い"のであって"偉い"訳ではない」と考えています。確かに上手い音ゲーマーは凄いです。人とは思えない手捌きで難解な譜面をいとも容易く処理していく所は見ていて感動すらします。しかしそういう人も、音ゲー初心者も、実力以前の問題として「一人の音ゲーマー」として対等であると思います。

 次に2つ目についてです。「エンジョイ勢」は上の意見みたいな人だけではありません。俗に「主語がデカい」って言われるやつですね。自分も正直なところ昔は「エンジョイ勢は上達を放棄した人達ばかり」だと思い込んでいた所がありました。しかし地元のゲーセンで開かれているDDRの大会に参加した時に、その考えは間違っていたことが明らかになりました。音ゲーマーって特に20代前半くらいの若い方が中心になっているイメージがあるのですが、その大会に関してはDDR EXTREME以前からやっているような古参プレイヤーが大量に来ており、そういうプレイヤー達の話を聞いていると、「DDR愛」がひしひしと伝わってくるようでした。昔からやっている人達ばかりなので楽曲や譜面に対する教養の深さが並大抵ではなく、とても驚かされました。あそこまで純粋に音ゲーを楽しめたら幸せだろうな、と思いました。さらにそういう大会に参加する方の中には、音ゲー曲オンリーのクラブイベントなどでDJをやっている方もいます。まさに音ゲー曲に対する愛の形の1つだなあと思います。自分も何度かそういうイベントにお邪魔させていただいたことがあるのですが、結構楽しいのでオススメです。(布教)最近は忙しいのと金欠であまり行けてません…

 最後に3つ目についてです。2つ目で述べた事と逆みたいなことを言って恐縮なのですが、「エンジョイ勢」を自称する人の中には心のどこかで上手くなりたいと思っていても、上達を諦めてしまったために自分の中で無理やり「自分はエンジョイ勢だから」と納得しているような人も一定数居ると思います。これについては色んな考え方があるかもしれませんが、自分は「それってしんどくない?」と思います。やっぱり自分の気持ちには正直であった方が音ゲーって楽しいと思うんですよ。

 エンジョイ勢にせよ、ガチ勢にせよ、自分が音ゲーをやる上で「何のために音ゲーをやっているのか」という事を一貫させておくのは非常に重要です。エンジョイ勢だったら「純粋に楽しいから」で良いですし、ガチ勢だったら「人より上手くなりたい」みたいな感じで良いのではないでしょうか。何なら両方を掛け持ちしたって良いです。上に述べたような「自分は上手くない」というコンプレックスを抱えるのはこの軸がブレてるからなのだと思います。

 実力コンプレックスを持ってる人について。これを解消するためには、自分が上手くなるのが最適解だと思います。確かに上手くなるのは正直しんどいです。上手くなるというのは「自分の苦手と向き合う」ということとほぼ同義なので…しかし、「今少し苦しんで上手くなる」のと「その実力コンプレックスをずっと引きずっていく」のではどっちが良いでしょうか。もちろん、「音ゲー自体から離れる」という選択肢もあると思います。しかし、音ゲーを続けたい気持ちが残っているのであれば、前者を取った方が結果的には良いのではないでしょうか。ようは、音ゲーとの適切な距離感を考えよう」ってことです。

ではでは~