やまそうの音ゲー紀行

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【ノベルゲー感想/考察】きゃべつそふと「ジュエリー・ハーツ・アカデミア」を読み解く

どうも、やまそうです。

 

数日前まできゃべつそふと様の「ジュエリー・ハーツ・アカデミア」をプレーしていたのですが、久しぶりに自信を持って「このゲームは面白い!」と言える作品に出会えました。元々本作のシナリオライターである冬茜トム氏に興味があり購入を決意した次第なのですが、見事にしてやられましたね。

 

という訳で居ても立ってもいられず2周目をプレーし、考察及び感想記事という名目でこの作品に対して色々語りたくなった次第です。もしここまでの説明で興味が少し出てきたな、という人がいれば是非体験版をプレーしてみてください!とんでもない所で終わるので続きがプレーしたくなる事間違いなしです。

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では、ここから作品本編の内容に深入りしていく事にしましょう。ネタバレしかないので、プレー後の閲覧を強くお勧めします。

 

タイトル画面

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1.  作品テーマの考察

1.0. 前書き

本作品における最も重要な設定の1つが意志(ジェム)です。ジェムは強固な意志を持ち続けた持ち主に宿り、持ち主に特殊な能力を宿します。本作品では、持ち主が意志(ジェム)を持つようになったきっかけを主なベースとして様々なキャラの価値観や考え方を見せる構成となっています。

 

意志を宝石として宿すには、世人とは比べ物にならぬほど硬い想念を抱かなくてはならないのだ。

常人が想う数十倍の情熱を、欲望を、果ては狂気と呼べる域に到達してこそ、意志は輝かしい宝石となって宿る。

(CHAPTER Ⅱ 「LAPIS PHILOSOPHORUM」より)

 

宝石学を教えているシャーロット先生、どうしてあんな事に……

 

そこで、今回は様々なキャラに少しずつ焦点を当てる事で、彼ら彼女らの価値観を鑑賞したり検討したりしてみます。

 

 

 

1.1. ベルカ・トリアーデ: 剣士の誇り

作中の最推しです。ペガサス組の中ではメインアタッカーとして大活躍した彼女ですが、一方で師であるカミラさんのように一人前のレディを目指す女の子らしい側面もあるキャラクターです。一芸に秀でた美少女、めちゃくちゃ良いですよね……

 

 

 

彼女の意志はアレキサンドライトソード。「剣にかけては誰にも負けない意志」であり、剣術に関するあらゆる事が研ぎ澄まされます。作中ではレイ先生が同様の意志を持つ訳ですが、「~に関して誰にも負けない」という意志は自身より圧倒的に強い人物と出会うと容易に壊れてしまうという事も示されています。

 

そんな壊れやすい意志を持つ彼女ですが、「メデューサ」が学校を襲撃して壊滅的な被害を受け、ペガサス組の担任だったシャーロット先生を目の前で失い、誰しもが絶望する中でも彼女はこう語ります。

 

ソーマ「ベルカさんは……どうしてまだ、剣を握れるの?」

ベルカ「勝つためよ」「私はまだ負けてない。次に会ったらこちらが勝つ。ここで引いたら今度こそ、ベルカ・トリアーデは死んでしまうもの」

(――中略――)

ベルカ「だから……今回も一緒よ。いくら道中で負けたって、最終的に勝てばいい。いいえきっとそうするわ。だって今までもそうしてきたもの」

(CHAPTER IV 「SOARING SWORD」より

 

こういう台詞が出てくるのイケメン過ぎる……不屈の精神を持つ美少女って素直に応援したくなっちゃいますよね。ともあれ、「今勝てなくても良いから最終的に勝てば良い」という考え方は何か一芸を極める上でとても大事だなぁと身に染みて思うばかりです。*1

 

おれも、ベルカさんの事が好きだよ……

 

彼女は物語終盤、特級戦力の1人であるキルスティンと対決します。師であるカミラさんを葬った事を仄めかしたキルスティンに対して激昂し、我を失いそうになる彼女ですが、レイ先生との"共鳴"により覚醒します。

 

ベルカ「ええ――大切なことを思い出したの」

(――中略――)

ベルカ「あなたの言う通りだったわ。種族がどうとか、恩人がどうとか、よく考えたら私に何の関係もない」「あなたがどんなに悲惨だろうが、世界が穢らわしく見えていようが、この闘いに何の影響も及ぼさない。どうでもいいことだわ」

(――中略――)

ベルカ「――私、負けるの嫌いなのよね。だから勝ちたい」

(CHAPTER XIV 「TOTAL ECLIPSE」より)

 

彼女は全てのしがらみから解放され、ただ「目の前の相手に勝ちたい」という思いだけで剣を振るう。その姿は端から見れば恩知らずであったりバカっぽく見えたりするのかもしれません。しかし、そんなある意味では狂気的ともいえる信念を以てして剣の熟達だけを追い求める、という姿勢こそがベルカ・トリアーデという少女の根幹をなす価値観であり、彼女の魅力ではないかと思うのです。

 

物語冒頭からバリバリの戦闘民族である事が見て取れます

 

余談ですが、本作品における最重要テーマとも言える「種族間の闘争」についての姿勢として、我を貫き通した結果として干渉しない、というのはヴェオにも通じる所があると言えます。

 

ヴェオ「だから、ただ……おまえらと意見が合うとすりゃ一つだろ。かったりいってだけだ」「種族だの国籍だのまどろっこしいったらねえ。そんなもんに踊らされて手前の態度変えるくらいなら、独りで生きてたほうがよっぽどラクだ」

どんなしがらみからも逃れ、独りで生きていくと誓った孤独の意志――

ヴェオ「でもよ……うだうだ言い争ってる連中よか、オレの方が幾分マシだろ?」

ノア「……そう、ですね。ヴェオ様の在り方は……とても気高く、素晴らしいです」

(CHAPTER XI 「NOVA PLINTH」より

 

 

 

1.2. メア・アシュリーペッカー: 知る事と恐怖をなくす事

メアの(元)意志のトパーズリーズンは光を当てた対象物を解析する能力です。結果的に彼女の意志は「ゲゼルマンⅢ世による人体実験により芽生えたもの」という事が作中明かされますが、ともあれ当時の彼女の考えを象徴するエピソードがあります。

 

このエピソードでは、「バードウォッチング部に入部するにあたって、蛇嫌いを克服したい!」というアリアンナに対して、メアは蛇についてもっと知れば良いと諭します。

 

メア「大事なのは」「知ること」

ソーマ「知る……」

メア「全てに対して言えること。何事も、知れば、怖くなくなる」

淡々と。揺るぎない事実を述べるように、彼女は続ける。

メア「あらゆる恐怖の根源は未知。何をされるかわからないから、何が起こるかわからないから、怯える」

(CHAPTER Ⅱ 「LAPIS PHILOSOPHORUM」より)

 

ここを読んでいた時に哲学者フランシス・ベーコンの遺した「知は力なり」という言葉を思い出しましたが、自分は哲学にそこまで明るい訳ではないのでここでは保留。ともあれ、興味深い考え方だと思います。

 

ジト目のメアちゃんも可愛いにゃんねぇ……

 

そしてこの考え方は後述する「種族間の和解」というテーマに対しても、象徴的な働きをしている、と言えるでしょう。「人間、セリオン、ヴァンパイアのように種族として一括りに嫌うのではなく、個体ごとに区別して考える事が重要である」という訳ですね。

 

カーラ「勉強って……どういうことですの?」

アリアンナ「えっとね。今までのわたしなら、あれもこれもニョロニョロ動く『大嫌いなヘビ』としか思ってなかったんだけど……」

きょろきょろと辺りを見渡して、彼女はすぐにまたヘビを発見する。

アリアンナ「あれはフルートヘビ。あれはアンブレラボア。あれはコーラルバイパー!」「『ヘビ』じゃなくって、みんなの違いがわかるようになったら……楽しくなったの!」

(CHAPTER Ⅱ 「LAPIS PHILOSOPHORUM」より)

 

 

 

1.3. ヴェオ: 孤独である事

ヴェオの意志、ローンオニキスは「孤独であればある程自身の身体能力や持久力が上昇する」能力です。彼もペガサス組に所属していますが、「クラスという集団に属する」というのと「孤独である」というのは一見矛盾しているように見え、作中でもギメルにそれを指摘されるシーンがあります。

 

ギメル「孤独を誇っているくせに──なぜ学び舎などというぬるま湯に浸かっている?」

(CHAPTER Ⅲ「STONE INVASION」より)

 

当時の彼はこれで意志がゆらぎ、ギメルによって物理的にジェムを破壊されてしまう訳ですが、物語終盤、彼はギメルに対して次のような答えを返しています。

 

ヴェオ「なんで……ぬるま湯に甘んじてるかだって?遅くなったな答えてやるよ、歯ァ食いしばってよく聞けクソ野郎」

だから彼は、ここに全てを清算するのだ。

ヴェオ「手前が──独りでいることの意味を知るためだ──ッ!手前でそいつを選び取るってことの意味をなァッ!」

(CHAPTER XIV「TOTAL ECLIPSE」より)

 

孤独に閉じこもったままでは、孤独の本質を捉えられない。

(CHAPTER XIV 「TOTAL ECLIPSE」より)

 

ヴェオはかつて狼型のセリオンとして迫害され続け、アカデミアに入学するまで孤独な生活を続けてきました。しかし、元々孤独なヒトは孤独以外の選択肢を知る事は出来ないんですよね。

 

ヴェオ×ノアは、存在します

 

そんな中、彼はペガサス組で仲間と呼べる存在を知り「仲間と一緒にいる」という選択肢を知ります。それでも彼は、孤独である事を選ぶ。だからこそ彼のオニキスはより強く輝く訳です。

 

生物として生存を第一に考えれば、寄り添うことこそ最善だったのは間違いない。

アリアンナ・ハートベルは絶対に自分を拒まないことも、戦力として彼らが有用であることも判っていた。

――だが、それでも。

仲間のいる尊さを知ってなお、彼は独りで死にゆくことを選んだ

(CHAPTER XIII 「SECRET MISSION」より

 

これは余談なのですが、この話って孤独だけに限った話ではないように思うんですよね。「Aという事象や状態を正しく捉えるためには、not Aについても知らなければならない」という風に拡大解釈しても成り立ちそうな感じがします。

 

 

 

1.4. マークス・フォン・レオンシュタイン: 王として民を導く事

作中で最も成長したキャラは誰か、といえば間違いなく彼でしょう。物語序盤では叔父をセリオンに殺された恨みからセリオン差別に走っていた彼ですが、終盤ではフリギアの実質的なトップとして種族間の融和を率先して進める人物にまで成長します。

 

そんなマークスくんですが、作中ではヴェオなどから「ポンコツ王子」と揶揄されてはいるものの、フリギア王の家系である事やフリギア内では数少ない意志を持つ事からも「持つ者」としての立ち回りを要求され、実際それに応えています。

 

元々はペガサス組のネタキャラみたいな扱いだったらしい

 

そして彼は民を導くさなか、メデューサ討伐に際して彼が集めた私兵から士気が感じられない事に対し疑問を覚えます。

 

マークス「国のために。秩序のために。命を張って闘えというのは……正当性ある命令では、ないのだろうか?」

(──中略──)

ネスター軍曹「身の危険も顧みず、戦友にも恵まれ、先陣を切って敵手と相まみえるその度胸。正直、驚嘆に値します」「……ですが。大多数の兵卒は──あなたほどご立派でも、強くもない

マークス「……!」

ネスター軍曹「ほとんどの連中は……石像どころか、トリ公の相手をするのがやっとです。笑ってください。たとえトロイの精鋭でも変わらんでしょう」

(CHAPTER VIII 「CRUSH ALL NIGHTMARE!」より)

 

確かに彼にとっては国を守る事も、仲間を助ける事も当たり前なのかもしれません。しかし、彼が導く兵隊や民衆といった「持たざる者」にとってそれは当たり前ではない、とネスター軍曹は説きます。そこで彼は「彼らに戦う理由を与える事」が君主の務めなのではないかと思い当たります。

 

自分には意志がある。いずれこのフリギアを総べる者として、外敵に抗おうという誇りが。

ならば、なぜ他の皆にはそれがない?

答えはいわば当事者意識だ。

(――中略――)

災害級の脅威に立ち向かうだけの理由。

それを与えてやるのが、あるいは君主の務めなのではないかと――

(CHAPTER VIII 「CRUSH ALL NIGHTMARE!」より)

 

このシーンについて、補足して「誇り」についての話もしておきましょう。マークスは物語序盤で「自分が王族である事を誇りにしている、良くも悪くもプライド高い人物」として描かれます。しかし、物語が進みメデューサの侵攻が進むにつれて、彼は王として誇り以上に「民衆を守る事」の方が大事だという事に気付きます。

 

マークス「ダメなんだ。ノアに……あんな真似をさせて、軍曹にも、現場の兵士にも負担を強いて。いたずらに死人を増やしているようじゃ」

懊悩したあげくにマークスの絞り出した言葉が、それだった。

誇りは大事。しかし、その誇りが犠牲を増やしては元も子もないと。

(――中略――)

マークス「――既に大勢の兵士が死んだ。市民もだ。石になった仲間も無数にいる。俺は……国を率いる者として、これ以上無用な血は流させたくない」

(CHAPTER VIII 「CRUSH ALL NIGHTMARE!」より)

 

マークス「無論……未だ煮えきらぬ思いはある。国王と王都の民の仇を討つことこそ、王家の者の責務なのではないかと今も考えてしまう」
ソーマ「マークス……」
マークス「だが――これはもはや、フリギアだけの問題ではない。俺が軽々に動けば、それだけ無用な流血を生む」「そしてやがては……我らが受けた屈辱や憎しみを語る者すらこの大地からいなくなるだろう。そんなのは決して俺の望む未来ではない」

(CHAPTER IX 「RUBY & SAPPHIRE」より)

 

 

 

1.5. ノア・フォン・レオンシュタイン: 種族間和解のヒント

マークスの妹、ノアちゃん。彼女は物語終盤、人間とヴァンパイアの和解を目指す「ノヴァ・サミット」にてヴァンパイア原理主義団体の男による凶弾に倒れました。あまりに衝撃の展開すぎて初見プレー時は本当に大声が出ました。ここまでヴェオ×ノアてぇてぇを描いてきてその結末はあまりにも残酷すぎる……

 

心優しい彼女が見せる真剣な表情、"癖"です

 

では、彼女が「ノヴァ・サミット」にて語った内容について見てみましょう。彼女が語った種族間和解のヒントとは――

 

ノア「私たちは……同じヒトです。同じ言葉を喋り、同じ服を着て、同じ地上に生きています」「ですが……ほんの少しだけ、中身が異なります。見た目が違います。生理が違います。腕力が違います」「たったそれだけのことと――思いますよね。でも、それだけのことを私たちは認められない、狭量な生き物なのです」「ヒトがアメンボに『違うから』と怒ることはありません。なぜならアメンボはそもそも違う生き物だから」

(――中略――)

ノア「細かなズレほど気になるものだと――兄が昔に語っていたのを思い出します」「ですが、そこに……ヒントがあると思いませんか?些細な違いに腹を立てている時点で、相手を同種の存在と認めているのです」

(CHAPTER XI 「NOVA PLINTH」より)

 

彼女はアメンボの例を出し、「ヴァンパイア、セリオン、人間同士でいがみ合う事が逆説的に『我々が同種の存在である』というのを認めている証左である」と指摘します。では、我々をヒトたらしめる物とは?

 

ノア「私たちをヒトたらしめるのは四肢でも、知能でも、腕力でもありません」「意志(こころ)です」

(――中略――)

ノア「楽しかったら笑う。悲しかったら泣く。悔しかったら怒って、時には故郷へ思いを馳せる……」「私たちは同じ心を持っています。それこそが、私たちが同じ生き物である証です」

(――中略――)

ノア「私は信じています」「私たち人類は――自分の力で考え、自分の足で明日へ向かってゆける生き物なのだと」

(CHAPTER XI 「NOVA PLINTH」より)

 

演説の中で彼女は「我々をヒトたらしめるのは心である」と主張します。意志も心の一つの在り方である事を考えると、「意志」を題材とした作品でこういう文章が出てくるのは重みを感じさせますね。

 

 

 

ところで、後半の「自分の力で考え、自分の足で明日へ向かってゆける」という文言について少し言及させてください。確かにそれっぽい事を言っているようにも見えるのですが、より具体的に言うなら「自分だけの思想・価値観を持ち、それに対して忠実に行動せよ」という事になるのではないかと考えました。

 

アリアンナやノアちゃんのように積極的に種族の融和を目指すも良し、ベルカやヴェオのように不干渉を貫くも良し。一番いけないのは自分の考えを持たずに周囲に流されて人種差別に加担してしまう事なのでしょう。「意志を持つ事」が賛美される作品全体のテーマからも矛盾しない解釈だと思います。

 

これは少し説教臭い読み方かもしれませんが、これは現代の私達にも教訓となる話です。人種問題に限らず様々な思想・価値観が飛び交う現代社会において、我々は時折好きな人が言っているから、偉そうな人が言ってるから、といった理由で「他者の考えを無批判に受け入れる」という事をしてしまいがちです。

 

確かに世の中のほとんどの思想・価値観は既に誰かが思った、考えた事があるものであり、「オリジナルの考え」なんて理想は存在しないのかもしれません。*2しかし、既存の思想・価値観であったとしても「どれを取り入れるか」についてはしっかりと吟味するべきでしょう。更に言うならばその思想・価値観の無数にある組み合わせの中から1つを選択する事こそがその人の自己同一性を担保している、と言えるのかもしれません。

 

素晴らしい演説でした

 

 

 

1.6. メイナート・スカイ: 悪は少数の弱者と同一たり得るか?

メイナート・スカイは作中でも謎めいた人物*3の1人です。元は黄金郷を追い求める意志からラピスラズリを発現させていましたが、ギメルと出会って石を砕かれてからは、クリノクロアに変彩し、「背負った罪咎に応じて強くなる」という能力を得ます。

 

かつて彼はアカデミアを卒業後、放浪の旅に出ました。その最中に七年戦争が勃発。彼は旅の最中に出会った人々に恩返しをしたくて傭兵として戦場に出る事になります。

 

メイナート「ガラテアにしろクァデシュにしろ、トロイ相手ならどこも小国だ。オレはそいつらの助太刀をしたかった」「弱者を救う正義の味方ってやつだ。巨悪トロイに虐げられてた連中を救いたかった。ま……昔から、英雄じみた活躍に憧れてたのかもな」

(CHAPTER XII 「ATLAS ACADEMIAL FRONTLINE」より)

 

しかし、「弱者を救う」と「悪に染まる」は一見両立しないように見え、作中でもカーラから指摘されます。それに対し、彼は次のように言い放ちます。

 

メイナート「盗む。騙す。脅す。殺す。罪を犯し、十字架を背負えば背負うほど、オレは新たな業(わざ)を得る」

カーラ「……!?なら、結局どっちなんですのよ――悪でいたいのか、弱きを助けたいのか!?」

メイナート「同じことさ。なぜなら悪ってのは、いつだって少数の弱者だからだ」

(CHAPTER XII 「ATLAS ACADEMIAL FRONTLINE」より)

 

彼がこのように歪んだ価値観を持つようになった最大のきっかけはギメルとの出会いです。彼は、当初「石喰い」を起こした張本人であったギメルを討つべく単身リビュアに乗り込み、彼に敗れて石を砕かれます。しかし、ギメルが「人間」という忘れられた種族である事を知り彼は愕然とします。

 

メイナート「判んなくなっちまったのさ。目の前の相手はどう見ても巨悪なんかじゃない。ただ、ごく無勢なだけの正義だ」「だとしたら……結局、正義だ悪だっつーくくりに、何の意味があるのかってな

(CHAPTER XII 「ATLAS ACADEMIAL FRONTLINE」より)

 

また、彼は「悪と少数の弱者は同一である」という自身の持つ信念の根拠として500年前の英雄、アストゥリオスを例に挙げます。

 

メイナート「このオッサンが、まさにそれだ」

メイナートは親指で、クイッと石像を指す。

メイナート「英雄アストゥリオス――なんて今じゃ呼ばれちゃいるが。本来は大した差別主義の人格破綻者、それも大量殺戮犯だ。だろ?」

(――中略――)

メイナート「それでも、勝てば――生き残れば――正義として。英雄として称賛される。こんなのは子どもでも知ってる理屈だ」「だったら弱者を救うにはどうする?悪に染まる以外あるのかよ」

(CHAPTER XII 「ATLAS ACADEMIAL FRONTLINE」より)

 

正義となるため悪に染まるという言葉遊びじみた不条理こそ、メイナート・スカイを彼たらしめる意志の根幹。
極論であり、暴論だ。例外もいくらだって挙げられる。
しかし、現実は彼の言説を証明しており……何より他者の言葉では動かせないほど彼自身が納得してしまっている。
僕らが――世界のだれもが――彼を理解できなくても、彼だけはその論理を信奉しているから。

(CHAPTER XII 「ATLAS ACADEMIAL FRONTLINE」より)

 

このように歪んだ図式を信じ続ける彼に対して物語終盤、かつてアカデミアで彼を教えていたレイ先生は「正義や、悪というのは『~だから正義だ、悪だ』という風に固定化できる程単純な概念ではない」と諭します。

 

レイ先生「――正義という言葉に頼りすぎなんだ、今のおまえは。何かに頼っていないとそんなに不安か?」

(――中略――)

正義も。悪も。

本来はこの世界に数え切れないくらい揺蕩っていて、またそのどれも朧雲のようにとらえどころがない。

蝶や花を慈しんで生きる無辜の少女さえ、数多の命を犠牲にした上で立っている。

そんな不確定なものを――ああだからこうと定める意義はどこにもない。

(――中略――)

レイ先生「それでも、おまえが正義を固定化したいのは……不確かな夢を追い続けるのに、耐えられなかったからだろう?」

(CHAPTER XIV 「TOTAL ECLIPSE」より)

 

正義と悪という概念は2択ではなく、その間がグラデーションで存在する曖昧な存在です。そんな中で、「~だから正義だ」という風に正義を固定化するのは思考停止に他なりません。そうではなく、自身で正しいと思う事を自律的に選択する、という事こそが重要だという作品からのメッセージなのではないかと思いました。

 

方向音痴が過ぎるレイ先生

 

 

 

1.7. ソーマ・ジェイス: 友情と利他的行動

本作の主人公であるソーマ・ジェイスは人間である事を隠してセリオンとヴァンパイアが集まるジュエリー・アカデミアに潜入しました。彼は物語中盤でヴァンパイアに対する憎悪をルビイにより増幅させられ、ペガサス組の面々に襲い掛かってしまいます。このシーンで彼は友情について興味深い主張をしています。

 

ソーマ「――確かにヒトはヒトを思いやる生き物だ。義理に駆られ。愛情が芽生え、利他的な行為に及ぶことだってあるだろう」「だけどそれは――自分も相手も同じ種族という前提の上で成り立っているにすぎない」「なぜなら、あらゆる利他的行為もまた、総体として種の繁栄を願う行為に変わらないからだ」「一人が身を削って二人を助けること。美談のようでも、種の観点からすれば当然の差し引きの結果にすぎない」

(――中略――)

ソーマ「だからこそ――捕食者と被捕食者の間に芽生える友情なんてありえない。欺瞞だ」

(CHAPTER X 「BLOODY HEARTS VAMPIRE」より)

 

彼は友情を「種の繁栄」という生物としての本能から生じるものだと捉え、だからこそ「ヴァンパイアと人間の間に友情は生まれ得ない」と断じます。

 

この考え方、現実にもありそうだなと思ったので調べてみました。彼の考え方は「群選択説(group selection)」と呼ばれています。(古典的な)群選択説の主張は「生物は種の保存、維持、利益、繁栄のために行動する」というものです。

 

しかし、古典的な群選択説は進化生物学の分野では誤った学説として否定されています。一つの例として、利他的な個体で構成される集団について考えてみます。その中に利他的ではない個体が変異や移住によって誕生したとします。すると、利他的でない個体の方が利他的な個体に比べて高い適応度を持ちます。そのため、利他的でない個体の方が遺伝によって集団中に広まります。*4

 

いや~でもきちんと群選択説が否定されていて良かった良かった。人間は本能に従うだけの決定論的で高度な機械なんだ、って言われるとやっぱり抵抗あると思うんですよね。とは言えこのシーンに関しては学問的な正しさ云々の話ではないかもしれませんが……

 

ソーマは学校に「メデューサ」が襲撃してきた時、瀕死のアリアンナを魔眼で救いました。そのお返しとばかりに彼女は彼にこう語りかけます。

 

アリアンナ「どんなに違う種族だって――友達が苦しんでるなら、助けるんだ。たとえ命がけでも」「ソーマくんが――わたしに教えてくれたことだ!」

(CHAPTER X 「BLOODY HEARTS VAMPIRE」より)

 

?「俺も~!!!!!!」

 

 

 

1.8. アリアンナ・ハートベル①: 礎になる事

というのも本作のテーマの1つです。作中で礎になった人物といえば、ノヴァ・サミットにて3種族間の融和を求めて凶弾に倒れたノア、そしてエウリュアレを封印するために自ら犠牲となったアリアンナの2人でしょう。では礎の在り方について語られているシーンについて見てみます。

 

ソーマ「ルビイも僕らを、ペガサス組を信じろ」

ルビイ「っ……だからって――いつまでも続く保証がどこにあるんだ!」

ソーマ「そんなものはないよ。だけど、誰かが傷ついて一歩を踏み出さなくちゃいけないんだ」「そしたらいつか、僕らの在り方が当たり前になって、広がっていくこともあるかもしれない。何だって初めては勇気がいるんだ」「でも、それが――僕らの願う礎ってやつだから」

(CHAPTER X 「BLOODY HEARTS VAMPIRE」より)

 

アリアンナ「本当は――ソーマくんに危険な目なんて遭わせたくない。ノアちゃんみたいな人だって、もう二度と見たくない」「だけど……誰かが一歩目を踏み出さなきゃ、もっと多くの血が流れる。だったら」「どれだけ足蹴にされたって――どんなに踏みにじられたっていい――」「だってそれが……礎になるってことだから!」

(CHAPTER XIV 「TOTAL ECLIPSE」より)

 

礎になるというのは、最初の一歩を踏み出すという事。これにはとても勇気がいりますし、傷付く事もあります。そして、礎になったとしても時間が経てば人々からも礎の存在そのものを忘れられるでしょう。それでも、現状維持のまま苦しむ人が増えるくらいなら自分が礎になってその負の連鎖を止める、と彼女は決意します。こうして見るとノアちゃんに匹敵するくらいの博愛主義者ですね……

 

懐かしい声『みんなはきっと……いつかわたしのことを忘れる』『今の世界が。種族の在り方が。だんだん当たり前になっていく。でもね、それでいいんだ』
僕はわかった。
これは天の上、そして地の底にいる、彼女の声だ。
懐かしい声『礎になるっていうのは……きっとそういうことだから』

(CHAPTER XIV 「TOTAL ECLIPSE」より)

 

この顔すき



 

1.9. アリアンナ・ハートベル②:  闘争の必要性

本作品は人間側の「メデューサ」とそれ以外の陣営の「闘争」を描いています。作中を通して闘争に対する考え方が変化したキャラといえばアリアンナでしょう。物語序盤、彼女は闘争を苦手としている様子が見受けられます。

 

メイナート「君はそもそも、争い事そのものが苦手なタイプだろ?ならおかしい」
アリアンナ「ッ!何が間違ってるって言うんですか――!」
メイナート「間違ってるさ。どうして争いがよくないなんて断言できる?闘争することが正解だとは考えないのか?」

(CHAPTER III 「STONE INVASION」

 

また、故郷の両親をギメルの隕石によって石化させられ、完全に心が折れた彼女はケイトの「闘争に、徹底した自己責任を負わせる世界」の夢に逃げ込もうとします。これに対し、ケイトの夢に巻き込まれたソーマは彼女に喝を入れます。

 

ソーマ「僕らは……出会って時からずっと……仲が悪かった」「いがみ合って、ギスギスしてて、でもその先にはかけがえのない絆が待っていた。世界で初めてってくらいの」「その絆は――種族や国籍っていう、どうしようもない、醜い闘いがなかったら。きっと成立しなかったものなんだ」「それを乗り越えたからこそ――"今"の僕らがあるんだ。あったんだ。その尊さを誰より知る君が、こんな世界を肯定できるはずない!」

(CHAPTER XIII 「SECRET MISSION」より

 

今いるペガサス組での絆が程度はあれど闘争の果てに生まれた事に気付いた彼女は、争いから逃げずに向き合う姿勢を見せ始めます。前述した礎になる事、というのも争いの果てに到達する一つの形とも言えるかもしれません。そして、その意志の輝きは物語終盤、ギメルとの対峙で最高潮に達します。

 

ギメル「屈して――なる、ものか――醜き種の闘いは――おれがこの手で……終わらせなくては、ならんのだ――ッ!」
アリアンナ「確かに世界は――まだまだ醜い闘いを続けるんだと思う。わたし達だって、きっともっと喧嘩する。――けど!」
この先の道は険しい。どんなに立派な理想を掲げたってそれは事実。
しかしそれでもと、ダイヤモンドの輝きはより強く光を放つ。
アリアンナ「お互いに歩み寄って、分かり合っていくためには――避けて通れない道だから!必要な喧嘩は、しなくちゃいけないんだよっ!」「それが辛いなら、あなたは――その先の世界で、ゆっくりお休みしてればいいッ!」

(CHAPTER XIV 「TOTAL ECLIPSE」より)

 

上記の通り、彼女は「種族間の闘争はお互いに和解するために必要な事である」と主張します。なお、これに続くエウリュアレ戦でも彼女は闘争をコミュニケーションの一手段と捉える見方を示しており、だから闘争は必要なものなんだ、と結論付けます。

 

アリアンナ「わたし達は――多かれ少なかれ、日々を生きる中で闘ってる。闘うことだって、コミュニケーションの一種なんだ」「わたしは……ケイトちゃんが見せてくれた夢で、それを知ったよ。だからヒトは、必要な時に闘わなくちゃいけないんだ」
食べることも。
クラス分けでやきもきすることも。
パルクールリレーだって、テスト結果だって、規模はどうあれ闘争だ。

(CHAPTER XIV 「TOTAL ECLIPSE」より)

 

もう少しだけこのテーマについて掘り下げてみます。ここまで「闘争の肯定」について語ってきた訳ですが、かつてトロイの仕掛けた七年戦争のように一方的な侵略戦争も肯定されてしまうのでしょうか?

 

まぁ普通に考えて倫理的にアウトですよね。ではこれに対しての反論を試みてみます。ケイトの見せていた歪な夢の世界ですが、この夢の歪さの本質は「闘争を任意で避けられる事」というよりも、「闘争、つまり決闘した人間のどちらかが確実に死ぬ」という事にあるのではないか、という風に自分は考えます。そもそもそんな簡単に命が失われて良い訳ないじゃないですか。

 

また、作中で少なくともソーマ陣営に関しては*5メデューサ」兵に対して殺す事なく、無力化して拘束する事を目標に行動しているのが見受けられますし、以下のアリアンナの発言もあります。作中では明言されていませんが、「闘争をするにしても『適切な作法、やり方』が存在する」という風に取れるのではないでしょうか。

 

アリアンナ「それでも――!人を殺していいはずがありません、違いますか!?」

(CHAPTER V 「GHOSTS IN THE STRUGGLE」より)

 

最後までペガサス組を引っ張り続けた彼女

 

 

 

1.10 アリアンナ・ハートベル③: 友情って何?

本作ではバラバラだった状態のペガサス組が紆余曲折ありながらも一つのチーム、友達としてまとまっていく過程が描かれており、当然ながら「友情に対してもスポットライトが当てられます。特にアリアンナは作中序盤から色んなキャラと友達になろうとする姿勢を見せていますが、彼女は友情に対してどのように考えているでしょうか?

 

まずは博士の命令に逆らえず、ペガサス組を裏切ったメアを連れ戻すシーン。アシュリー、ペッカーという2人の友人を救えなかった後悔から「自分に友達を作る資格なんてない」と述べるメアに対して、彼女は以下のように語ります。

 

メア「友情ってなんだ!友達になるってどういうことだ!その足りない知能で説明してみろッ!」
アリアンナ「それは――」
翼と豪腕が弾け合う。
簡素な問いに、アリアンナの出した答えは――
アリアンナ「――まだ、わからない!」

(――中略――)

アリアンナ「でも――わたしは、メアちゃんを友達と思ってる!なら、後はメアちゃんがわたしを友達だと思うだけだ!簡単だ!」
メア「――」
アリアンナ「それでもメアちゃんが納得できなくて、答えを、本当に知りたいって思うのなら――」「一緒に探していけばいい!それができるのが、友達だ!」

(CHAPTER VIII 「CRUSH ALL NIGHTMARE!」より)

 

メアちゃん、序盤と裏切り後と変彩後で3度美味しいのズルすぎ

 

友情の本質は不明。それでもお互いに友人だと思い込めば、友情は成立する、と語る彼女。この価値観は意志が暴走したソーマを元に戻すシーンでも一貫していますね。

 

アリアンナ「確かに簡単じゃないのかもしれない。でも不可能じゃないよ!わたしは鳥さんとも友達になれたんだ!」
ソーマ「そんなの――思い込んでるだけだろうが――!」
アリアンナ「そうだよ――思い込みだ!でもね、お互いが思い込めたなら、それ以上望むことなんてないはずだよ――!」
二人の友情というやつは、決して他者には割り込めないもの。
ゆえに、どんなに過ぎた勘違いでも。
双方向に通じ合う意志があるのなら、それすなわち友情の成立であると。

(CHAPTER X 「BLOODY HEARTS VAMPIRE」より)

 

 

 

 

 

2. ストーリー考察: 残された謎

ここからはテーマではなく物語そのものの考察に移ります。本作のラストシーン、あまりに怒涛の展開が過ぎる。誤解を恐れず言えば、「アリアンナがデウス・エクス・マキナ*6して終わり!」ではあるんですが……

 

これは「デアエ・エクス・マキナ!」

 

またラストシーン以外にも謎めいた点がいくつかあるんですよね。意図的に語られていない話*7もあり、合理的な説明がつけられなかった所もあるのでそれらに関しては提示するに留めたいと思います。

 

2.1. ケイトの夢とタイムパラドックス

CHAPTER XIIIにてケイトの意志、エフェメラルエメラルドによって夢の世界に飛ばされたペガサス組一行。彼らは異界でアリアンナに巣食っていたアストゥリオスの遺志を破壊して現実世界に戻る訳ですが、その帰り際にアリアンナが「ペガサス組を作ってください」とお告げをするシーンがあります。

 

アリアンナ「異種族の混淆する有機特異点――クラス・ペガサスの構築を確認」「超越の羇旅を遂行する――」

(CHAPTER XIII 「SECRET MISSION」より)

 

これってなかなか凄い事をやってますね。現在進行形でペガサス組は存在していますが、アリアンナは過去に介入してペガサス組が存在する世界線にしようとしている訳です。これは一般的なタイムパラドックスと逆の事をやっている、と説明できます。

 

タイムパラドックスの最も有名な例は「親殺しのパラドックス」ですね。これは「過去に遡って自分の親を殺すと、自分は生まれてこれないはず。そうすると過去に遡る事もできず、過去改変が起こらなければ自分は生まれてくるはず……」と堂々巡りになる、というものです。

 

このパラドックスの起点は、現在の状況に矛盾が生じるような過去改変を行う事ですが、アリアンナの場合は現在の状況に矛盾が生じないようにするための過去改変を行っているため、タイムパラドックスは恐らく発生しないと思います。

 

 

関連する謎

・ケイトの見せた夢にセシリア(と彼女を連れて歩いているギメルらしき人物)が存在するのは何故?

 

したまえ←かわいい

 

 

 

2.2. ラストシーンについて

ここからは問題のラストを読み解きます。初見だと展開にただただ圧倒されてそれどころじゃなかったです。

 

アリアンナは――時を越えて舞い戻った。
そのために僕らは、地下深くの彼女まで遺志を届かせる必要があった。
メアが絶えて。マークスが逝って。ベルカが果てて。ヴェオが尽きて。そして最後に僕が没して。
全員の遺志をリレーのごとくに同じ方向へ向けて、繋げた鉱脈を深奥まで達させなくてはならなかった。
みんなの意志と生き様を、僕がこの眼に焼きつけた上で、彼女に届けてあげなくちゃならなかった。
まあまあな無茶ではあったけど、彼女の数万年を思えば軽いものだ。

(FINAL CHAPTER 「WE WILL WING WONDER WORLD」より)

 

大まかな話の流れとしては、エウリュアレを封印するためにアリアンナが身代わりになる→卒業式→ペガサス組の人生をソーマが記憶して没する→(数万年経過)→アリアンナ覚醒(?)→時間遡行してエウリュアレとの戦闘まで戻る→エウリュアレ永久封印、という感じでしょうか。

 

アリアンナがチートじみた神様になるのはともかく、問題なのはアリアンナが覚醒したきっかけが何か?」という所だと思います。

 

数万年経過したらいくらアリアンナでもペガサス組の事を忘れるでしょう。そこに「記憶」の意志を持つソーマがペガサス組での記憶を思い出させます。元々エウリュアレと共に封印されていたアリアンナは自身が礎になる事に満足していましたが、数万年を経たソーマとの出会いで「エウリュアレという『壁』を乗り越える」と強く心に誓ったのではないか、という風に自分は解釈しました。とはいえ説明不足感が否めないのは仕方ないかもですね……

 

古代英雄アストゥリオスが――日光という種の欠点を克服したように。
少女アリアンナ・ハートベルが――大空を飛び越えたいと願ったように。
征服されざる金剛石は、ありとあらゆる壁を超越していく。
どんなに不可逆で、絶対的なものであっても、必ずや乗り超えると心に期すことが必要だった。
時の超越。掟の超越。生の超越。種族の超越。国境の超越。
そして、死の超越。
だからもう--彼女を縛る概念はこの世に存在しない。

(FINAL CHAPTER 「WE WILL WING WONDER WORLD」より)

 

これが天使かぁ



 

関連する謎

・ノヴァ・サミットにてノアちゃんが暗殺された時、弾丸から蒼きオーラが立ち昇っていた、という描写があったが、恐らくエウリュアレの仕業だろう。ちなみに、このシーンの少し前でパラスに取り込まれそうになっているソーマをケイトが祓うシーンがあり、そこでパラスの遺志を取り込んだと思われる。

 

・エメラルドの意志に変彩したソーマが他のペガサス組メンバーの人生を眼に焼きつける必要があったため、ソーマが一番長く生きたという事になるが、これは相当厳しい。作中でヴァンパイアの平均寿命が130~140歳とされている以上、人間のソーマがヴァンパイアであるベルカやマークスより長く生きるのはほぼ不可能に近い。原初のエメラルドの意志を持っていたゲゼルマンⅠ世は104歳まで生きた、とされていたが、ゲゼルマンⅠ世の頃は人間であったと仮定するのであれば、記憶に加えて「より多くの事を記憶するために」と長命になる作用がある可能性は考えられる。

 

・1度目のエウリュアレ封印後、ヴァンパイア種から人間の血を魅力に思う感覚が一斉に失われた事について。これには主に2つの可能性が考えられると思う。1つはアストゥリオスがヴァンパイアに日光耐性を与えていたのと同様に、エウリュアレがヴァンパイアに「人間の血を魅力に思う感覚」を与えていた可能性だ。これはエウリュアレが生命の総個体数の減少を望んでいた、という事に矛盾しない。*8もう1つは種族間の融和を願っていたアリアンナが人間への加護としてヴァンパイアから同様の感覚を消した可能性である。

 

 

 

 

 

3. 「ジュエハ」の面白さについて語る

テーマの考察、ストーリーの考察が終わったのでようやく作品そのものの感想について語る事が出来ます。ここまで長かった……*9

 

「ジュエリー・ハーツ・アカデミア」という作品の魅力を一言で表すならば「面白い」、この一言に尽きると思います。

 

既に語った通り、本作品はともすれば「ご都合主義」と取られ得る話の展開や、(意図しているかどうかはともかく)未回収らしき伏線が見られるのは確かです。しかし、全体として見ればそれらの欠点を帳消しにしてお釣りが来るレベルの面白さを誇っていると思います。

 

では、本作を面白い作品たらしめているものは何なのか?これについていくつかの観点から見てみます。

 

 

 

3.1. 様々なキャラに「見せ場」がある

本作では「意志」を持つキャラ達が躍動するだけあって、彼ら彼女らにはジェムを持つに至った思想・価値観が存在します。そして、本作はこれらの思想・価値観をストーリー内の重要なシーンで見せるのが本当に上手い!前述した作品のテーマ考察において、あれだけ文字数を割く必要があったのがその証拠だと言えます。このように明確な「指向性」を持ったキャラは読み手に対して記号的な魅力だけではない、1人のヒトとしての実体感を与える効果があるように思います。

 

「キャラクターを魅力的に見せる」という観点で少し補足。指向性を持つキャラは先程述べた魅力がある一方で、行き過ぎると思想が強い、あるいは変人という印象を持たれてしまいがちです。本作序盤においてバラバラだったペガサス組ですが、そんな中でも主人公陣営の特定キャラに不快な印象を持たせずに書ききった冬茜トム氏のバランス感覚はお見事と言えるでしょう。*10

 

惜しむべくは、ヒロインごとの恋愛に絡んだエピソードがもっと欲しかったです。こういう不満が出てくる事自体、「キャラクターが魅力的である事」の紛れもない証明ではあるのですが……きゃべつそふとさん、今からでも遅くないので日常パートに特化したジュエハ本編のアフターストーリー製作しませんか??????

 

ベルカさんのデートシーン、良すぎと話題に

 

 

 

3.2. 冬茜トム氏による華麗な伏線回収とミスリードに富んだシナリオ

冬茜トムシナリオの代名詞といえばなんと言っても伏線回収でしょう。本作でもその輝きは健在です。CHAPTER Xで「ソーマのみが人間で、人間のように見えるほとんどのキャラはヴァンパイアである」というのが明かされた時は鳥肌が立ちました。同氏がシナリオを担当しているアメイジング・グレイスをプレーした時にも思いましたが、彼にしかこのシナリオは書けないなぁと思います。

 

「何ら取り立てることもない」、ねぇ

 

自分はミステリー作品に関しては全くの素人なのですが、2周目をやってみると「1周目では認識できない伏線」が驚くほど張られていました。ヴァンパイアの例では自分が気付いた分だけでもこれだけ大量の伏線が張られています。(漏れもあると思いますがあくまで一例)

 

 

・CHAPTER Ⅰでソーマがアリアンナから食堂に誘われて断る

 

・CHAPTER IVでフリギア軍から尋問を受けている時にソーマの心の声で彼らが醜い、と言っている

 

・CHAPTER VIIでペガサス組が遭難した際、ソーマだけ明らかに衰弱している

 

・CHAPTER VIIでレイ先生がペガサス組を救出する際、レスキュー用物資の中に「食料」がない*11

 

・CHAPTER VIIで遺志持ちゴーレムとの戦闘後、気絶したソーマが目覚めた時にアリアンナは栄養補給と称して食堂に行く事を勧めるが、彼はそれを断る

 

・CHAPTER IXでソーマは現状謎であったギメルの意志を「一目瞭然の、とても簡単な意志」と心の中で一蹴する

 

・CHAPTER IXでエメラルドタブレットは人間が触れるとあまりの情報負荷によって壊れてしまう、と作中説明されているが、アリアンナやノアは触れたにも関わらず無事

 

 

自分はノベルゲーをやる時横にメモ帳を開いて、そこに提示された設定や伏線をメモしながらプレーする癖があるのですが、ここまで巧妙な事をされると素直に「してやられたな」と脱帽せざるを得ません。この「してやられたな」というシナリオライターの掌の上で転がされている感覚こそが、ミステリーの1つの魅力なのかもしれませんね。*12

 

ジュエハだとこんな感じ

 

もう1つはミスリードについて。これは主にEPISODE χの話になります。物語最終盤で「少年χは過去のギメルであり、ギメルの意志と思われていたものはセシリアの遺志であった」という情報が明かされる訳ですが、それを最後まで読み手に悟られないために「EPISODE χはメインストーリーと同時進行している」と読み手に誤認させるミスリードの限りが尽くされています。こちらも例示してみましょう。

 

 

・CHAPTERⅡの確実に奥に何かあると思しきラボから地下に続く階段

 

・CHAPTER Ⅲでジュエリーアカデミア襲撃事件直後のEPISODE χは地下室の上から轟音が聞こえるシーンから始まる*13

 

・CHAPTER Vでラボに潜入したソーマの脳裏によぎる地下室の映像

 

・CHAPTER VIIIでソーマがゲゼルマンに「どこかでまだ、"例の実験を続けてないか?"」と問い詰めるシーン

 

・CHAPTER VIIIでゲゼルマンが殺害された後のEPISODE χでセシリアが「最近ゲゼルマンを見ない」という旨の発言をしている

 

・CHAPTER VIIIのギメルの発言「モルモットは未だ幽閉されたまま――が……」「脱出の兆しは、そう遠くもあるまい」*14

 

・CHAPTER IXのヴァンパイア・ファイル内でχとφ(=セシリア)の実験地がアトラスになっている

 

 

余談ですが、彼のシナリオはつくづく情報の出し方が上手いな、と感じます。本作品だと、「メデューサ」との争いについての話だったはずが、いきなりこの世界の成り立ちについての話が始まるシーンとかでしょうか。「どうしていきなり本筋と一見関係なさそうな話が始まるんだろう?」と先の展開を期待させます。

 

そもそも本作品は話の展開が非常に多く用意されているため、読み進めている時に「中だるみしてるな~」と思う事がほぼありませんでした。これって本当に凄い事で、日常パートを削ってストーリーに特化した強みを十二分に活かせていると言って良いでしょう。

 

余談ですが、この標語を調べたらコロラド州のモットーが出てきました



 

3.3. ノベルゲー媒体でしかできない表現

FINAL CHAPTER周辺の話ですね。まさか偽エンディングを仕込んでくるなんて思わないじゃないですか!!!確かにラストの展開は少し無理やり気味ではあるのですが、それがどうでも良くなるくらいに勢いで押し切られた満足感が勝りました。

 

これは個人的なお気持ちを含む話なのですが、自分はノベルゲームという媒体をいわば「テキストにCGや音楽などを融合させた総合メディア」という風に位置付けています。

 

たまにノベルゲーをシナリオそのものの出来のみで評価する人がいますが、シナリオで出来のみを評価するだけならそれって別にノベルゲーである必然性はなくて、小説でも良いんですよね。そのため、ノベルゲーという媒体について語る以上CGや音楽の評価に関しても可能な限り言及した方が良いのだろうな、とは常々思う所ではあります。

 

そういう意味では「偽エンディング」という演出はノベルゲーでしか成立し得ないギミックであったと言えます。これに対しては展開含め賛否両論はあるでしょうが、少なくともこのような演出をノベルゲーという媒体で試みた、という挑戦的な姿勢は評価されて然るべきでしょう。

 

 

 

 

 

4. その他、気になった事

・戦闘シーンの演出に関しては弱いかもしれない。今年3月に発売される「アンラベル・トリガー」という作品も吸血鬼、獣人、人間の争いを描いた作品なのだが、体験版をプレーした限り演出面に関してはアントリの方に軍配が挙がるだろう。隕石落下のアニメーションを何度も使いまわすのはちょっとダサい気がする……

 

・作中後半、"共鳴"というワードが十分な説明なしに使用されている。文脈から考えると、「同種の宝石同士による『遊色』」を指していると考えるのが良いだろうか?

 

・"変彩"について。「変彩は稀な現象で、歴史上ほとんど確認されていない」と明言されていた割に、作中ではメア、マークス、メイナート、ソーマとかなり多くの人物が変彩を起こしており、不自然に思われる。もしかして未回収の伏線とかだったりします?

 

・公式ページで本作のジャンルは「落ちこぼれクラスが世界を救う青春学園ファンタジーとされているが、ペガサス組は別に落ちこぼれではない。むしろCHAPTERⅢのコカトリス掃討演習でも圧倒的な1位を取っているように、能力を見ると他のクラスを圧倒している。これに関して、ペガサス組」という括り自体がアカデミア内の序列の外に存在する、という意味で敢えて「落ちこぼれ」という風に評したのではないかと思う。実際CHAPTER Iでは他クラスから蔑まれている描写がある訳ですし。

 

・CHAPTER Ⅱでソーマが見つけたラボの死体って結局誰の死体で誰が殺したんだろうか

 

・CHAPTER IVでソーマが奥歯に仕込んだ毒で自殺を試みるシーンがあるが、何故死ねなかったのか

 

・CHAPTER IVで一度砕かれたはずのヴェオのオニキスが復活しているのは何故?ギメルに砕かれたのは物理的な損傷が原因だから、という風にこじつけられる気もするが……

 

・CHAPTER IXでは「メデューサ」は非戦闘員含めて400人程度、と説明されているのに対し、CHAPTER XIではコロニーに住まう一般人を除いて400人程度、と説明されている。ミスだろうが、作中に登場するメデューサ兵の数を考えると恐らく後者だろう

 

・ヴァンパイアはお互いの吸血のみで食餌は完結するが、水分摂取はするらしい。作中でもマークスが紅茶を飲んだり、ベルカがスムージーを飲んだりする描写がある。吸血以外で摂取した水分は不感蒸泄として体表から失われるとかなのかな……

 

「ヴァンパイアは排泄行為をしない」という設定がある一方、ベルカのHシーンにて矛盾が発生している*15

 

 

 

 

 

5. おわりに

語りたい事全部語ったらとんでもない文字数になってしまいました。普段こんな長い文章を書く機会なんてそうそうないので、きちんと纏まっているか不安ではありますが……

 

ともあれ、これだけ長い文章を以てして「語りたい!」と思わせる「ジュエリー・ハーツ・アカデミア」という作品は本当に凄かったんだな、と感慨に浸っています。こんな事されたらきゃべつそふとのファンになっちまうよ~

嗚呼……月4500円課金完了……

 

実を言うと、同じきゃべつそふとで冬茜トム氏がシナリオを担当している作品繋がりで、「さくらの雲*スカアレットの恋」を積んでいるんですよね。世間的にも相当評価が高い作品、という触れ込みなので時間がある時に是非プレーしたいと思います。

 

それでは~

 

*1:自分は普段は音楽ゲームをよく嗜むのですが、結構真剣にやっているつもりなので彼女の考え方には強く共感するばかり……

*2:思想について研究している人々ですら、古代ギリシャの哲学者の思想の受け売りである可能性があるので……

*3:キルスティンといい、ルビイといい、特級戦力全員キャラが濃すぎ問題

*4:リファレンス元。論文じゃないので引用元がWikipediaなのはお許し願いたい

ja.wikipedia.org

*5:人間のコロニーを襲ってルビイに惨殺されたフリギア兵くんさぁ……

*6:古代ギリシャの演劇で膠着状態に陥った状況に神様を登場させて一気に解決に導く、という演劇手法。いわゆる"機械仕掛けの神"

*7:カーラの属している「組織」の話etc……

*8:エウリュアレは人間サイドなのにヴァンパイアに有利な事する?とも思ったが、彼女は恐らく自分以外の事は種族関係なくどうでも良いと思ってそうなので……

*9:引用あるとは言ってもこの時点で既に1.7万字程度

*10:細かいポイントですが、例えばマークスの人種差別発言に対して他のキャラが咎める、という感じで"逸脱した行動"に対してすぐツッコミが入るから読みやすかったのかもしれませんね

*11:「本来ないはずのものがある」という伏線は気付かれやすいですが、「本来あるはずのものがない」という伏線は気付きにくいですよね……

*12:冬茜トム氏自身ミステリーが好きらしい?彼のTwitterを前覗きにいったら、おすすめのミステリーを紹介してるツイートを見かけました

*13:χとセシリアが監禁されていたのは建設中のジュエリー・アカデミアなので、本当は工事の音とかなのでしょう

*14:この発言から察するにゲゼルマンは現在の時間軸においてもχやセシリアとは別の人物を被検体にして人体実験を行っていたと考えられる

*15:でも凄くえっちだったので、ヨシ!