やまそうの音ゲー紀行

音ゲーに関する幅広い話題について書きます(上達論多め)

音ゲー上達論「論」

やまそうです。

 

今回のテーマは音ゲー上達論」です。世の中には音ゲーの上達を目的として書かれた記事(これらを今回は「音ゲー上達論」と総称します)が多数存在します。内容も具体的な譜面を攻略する話、上手くなるためにどういう選曲をするべきか、メンタル管理の方法など多彩なジャンルに分かれています。では、これらの音ゲー上達論をきちんと吸収するためにはどのような事を心掛けたら良いのでしょうか?今回は自分が普段音ゲー上達論について考えていること、音ゲー上達論「論」とでも言うべき事について書こうと思います。

 

まず、音ゲー上達論を文章化することにどのような意義があるでしょうか?これに関しては以下の2つのメリットがあると思います。

メリットその1:言語化することで再現性を得られる

音ゲー上達論のメリットの本質がこれです。音ゲーでは往々にして「何となくできた」「いつの間にかできるようになってた」のような事が起こります。音ゲーマーが言うところの「気合い」とかもこれに近そうな気がします。しかしこれでは再現性が得られず、そのコツを掴めないプレイヤーはずっと同じ実力帯に停滞してしまいます。このコツを掴む力がいわゆるセンスや才能だったりする訳ですが、言語化することでその壁を取り払うことができます。(話が抽象的ですみません…)

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↑天才タイプじゃないから 毎日コツコツ反復してるんだ

 

メリットその2:モチベーションが上がる

先程メリットその1が本質だ、ということを述べましたが、実際のところはこちらのメリットの方が大きいような気がします。音ゲー上達論って自分のメイン機種じゃない機種の記事でも読んでるとモチベ上がりません?「世の中にはこれだけ音ゲーに対して真剣になってる人がいるんだ」って思うとワクワクします。KACを見て音ゲーのモチベが上がる人と同じような感じですね。

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それでは、ここからは具体的な音ゲー上達論の活かし方について述べていきます。

その1:読むだけで活用しないと意味がない

「何を当たり前の事言ってんねん!」とツッコミが入りそうですね。しかし、この当たり前がなんと難しいことか…実際に音ゲー上達論を読んで自分の練習の中に取り入れる、というプロセスは多かれ少なかれ行動力が必要です。もっと踏み込んだことを言うと音ゲー上達論を読んで自分の練習へ実際に活かせるかどうか、というのはその人が音ゲーマーとして大きく成長できるか否かを分ける重要な分岐点ではないか、と個人的には考えています。多くの場合そのような上達論を組み込んだ練習は一種の「修行」のようになってしまいがちです。BMSで言うところのフォルダ周回とかはまさにその代表例であり、習慣化するまではめちゃくちゃしんどいです。しかし、その大きな精神的な障壁を越えられる人が地力の壁を破れる人なのだと思います。

別に音ゲー上達論に限らず、上手い人のアドバイスなどを自分の中で理解した上で実行できる力は大事ですよね。音ゲー上達論に詳しいだけの人(そんな人いるのか?)は、厳しい言い方をすれば「参考書を買っただけで自分が賢くなったと勘違いしている受験生」と本質的には同じなので…

 

その2:音ゲーの「マクロ」と「ミクロ」

音ゲー上達論は大きくマクロの技術とミクロの技術に分類されます。マクロの技術というのは数ヶ月単位とかで長期的にどうやって上達するかという話です。(例:BMSで地力上げをするための練習メニュー、Stella難易度表の活用方法など)一方で、ミクロの技術というのは難しい曲の攻略といった短期的に成果が出るような話です。(例:ボルテのFirestorm(EXH)攻略、弐寺の段位攻略など)今回は対比関係を強調するためにマクロとミクロという表現を使いましたが、もし分かりにくければマクロを「地力」、ミクロを「テクニック」という風に言い換えてもらっても大丈夫です。

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↑ちなみにこの考え方はこのゲームから着想を得ました

 

音ゲー上達論をマクロとミクロに分けた時、ミクロの方が短期的に効果が出るためどうしてもそちらの方に飛びついてしまいがちです。しかし、マクロがないとどこかで絶対に壁にぶつかります。これの例としては、CHUNITHMで擦りや全押しの技術に頼りすぎて指押しを苦手としているタイプのプレイヤーが挙げられます。音ゲーマー個人個人によってどこまで上手くなりたいか、というのは異なるのでそれ自体が悪いという訳ではないのですが、最終的にそのゲームの中でのトップ層を目指したい方はマクロの技術を伸ばす事も忘れないようにしましょう。

とは言っても「地力」という概念自体が様々な要素を含んでいるので、明確にマクロとミクロの線引きをするのは難しいのですが「見た通りに押すことができる」という能力はシンプルにして非常に強力であるということは頭の片隅に入れておくと良いと思います。

また、マクロとミクロのどちらのアプローチが有効か、というのはゲームによっても異なります。マクロが有効なゲームとしては弐寺ポップンのような「基本的に見た通り押すしかないゲーム」が挙げられます。一方で、ミクロが有効なゲームとしては逆に「見た通り押さなくても良いゲーム」もっと言えば「ある譜面に対する処理の正解が複数通り存在するゲーム」が挙げられ、これは主にCHUNITHM、オンゲキ、maimaiといったSEGAのゲームに見られます。

 

その3:「音ゲー脳」を鍛えよう

音ゲー上達論は特定のレベル帯に向けた多くの音ゲーマーを対象にして書かれていますが、音ゲーマーが苦手とする分野は人によって異なります。ボルテで例えれば、つまみ譜面が苦手な人と鍵盤譜面が苦手な人がいたり、PUCを出すのが苦手な人と高難易度である程度のスコアを出すのが苦手な人がいたりみたいな感じですね。これらのプレイヤーで必要とされる練習は当然ながら全て異なります。そのため、世の中の上達論でこれら全てをカバーしきるのは現実的に不可能です。どういう事かというと、どこかで自分なりの上達論を考え出す必要があるという事です。

では自分で上達論を考えるためには何が必要でしょうか?これに対して、自分は音ゲー脳」を鍛える事が重要だと考えています。「音ゲー脳」というのは造語で、音ゲーの上達を考える上での問題解決能力」を指す事にします。ようは、「どうやったら上手くなるかな~」というのを掘り下げて考えられる力の事ですね。更に、「音ゲー脳」を鍛えるためには音ゲー上達論をただ吸収するだけではなく、その論のエッセンスを理解する」という事が有効です。論のエッセンスというのは「何故その上達論を実行すると上手くなるのか」という事です。エッセンスを吸収することで、その上達論に限定されない、より広い地力帯や機種に応用できるような上達論を自分で編み出すことができます。

ここからは少し話が逸れるのですが、音ゲーのモチベーションが高い、「めちゃくちゃ音ゲーが上手くなりたい!」という人は「では音ゲーを上手くなるためには何をすればいいだろう?」という事をしっかり考えるので自然と「音ゲー脳」が鍛えられ、勝手に上手くなっていく印象があります。ここで「上手くなる人は勝手に上手くなるし、そこそこの人は上達論を読んでも実際に活かそうと考えないのなら音ゲー上達論は無意味なのではないか?」という疑問が生じます。しかし、自分は音ゲーのモチベがある人間が必ずしも上達のための正解を選べるとは限らない」という観点から音ゲー上達論には意義があると思っています。これは自分の経験からもそうですし、周囲の音ゲーマーにも自分流で修行し続けた結果体を壊してしまったプレイヤーもいます。音ゲーの上達論に正解は存在しませんが、間違いは存在すると思います。上達論を通して、そういった間違いから音ゲーマーを救い出せたら良いのかなぁと最近考えてます。

 

めちゃくちゃふんわりした文章でしたが今回はこれで。

 

それでは~