やまそうの音ゲー紀行

音ゲーに関する幅広い話題について書きます(上達論多め)

音ゲーの「才能」ってなんだろう

 お久しぶりです、やまそうです。9月になり、新学期が始まりましたが皆さまいかがお過ごしでしょうか。え?普通の大学生は9月末まで休みだって?もうなんもかてへん

 

 さて、今回はTwitterとかで時々勃発する音ゲー議論のテーマの一つである、「才能」について考えてみたいと思います。音ゲーに才能が必要か、という問いはしばしば議論を巻き起こしますが、才能というワードが人によって解釈が異なるために議論がかみ合わない、という事態をたびたび見かけます。そこで、この記事では自分なりの「才能」の定義を示し、それについてどう向き合えばいいのかについて書いてみたいと思います。

 

1: 「才能」とは何か

 「才能」というのはデジタル大辞泉によると、「物事を巧みになしうる生まれつきの能力」と説明されています。つまり、音ゲーにおいての才能とは「音ゲーが上手くなるにあたって、自分ではどうすることもできない要因」という風に言い換えられるのではないでしょうか。ではその要因っていうのは具体的に何のことやねん、ということになるのですが、以下の2つが思いつきました。

 

1-1: 同じ練習をこなした時に得られる経験値の差(純粋才能)

 まず1つ目に思いつくのが、「同じ練習をこなした時に得られる経験値の差」という考え方です。これを「純粋才能」と呼ぶことにします。当たり前ですが、全ての人が全く同じ練習メニューをこなしたからといって、同じだけ成長する訳ではありません。必ず人によって伸び方は異なります。即ち、音ゲーRPGのように考えた時に、

(経験値)=(練習量)×定数(人によって異なる)
というイメージで、この定数部分を「才能」と呼ぼう、という考え方ですね。多くの音ゲーマーが「才能」と言う場合、この意味で使われていることが多いですね。
 
1-2: モチベーションがあるかどうか(モチベ才能)
 次に「モチベーション(以下、モチベと略します)があるか」です。こちらを「モチベ才能」と呼ぶことにします。これは個人的な意見なのですが、音ゲー上達の上で最も重要なのは「どれだけ音ゲーに対して真摯に向き合えるか」だと思ってます。ようはモチベですね。効率的な練習方法があっても、それを実行するだけのモチベがなければ意味がありません。「モチベが才能なのか?」と思われる人も多いと思います。一般的には1-1で書いた意味で使われているので…
 しかし、少し考えればモチベも才能の一形態であるのは自然であることにすぐ気付かれると思います。音ゲーのモチベというのは、言い換えれば「どれだけ音ゲーが好きか」ということです。音ゲーだけに限らず、趣味に対してどれだけ好きか、というのは当然人によって異なるので、「自分ではどうにでもならない」という点で才能と呼べます。
 
2:「才能」とどう向き合うべきか
2-1: "擬似的な才能"に惑わされない
 ここからは、自分なりの「才能」との向き合い方について書いていこうと思います。この考え方はTwitterでこの手の議論を追っていた時に見つけたものなのですが、興味深かったので紹介しておきます。ズバリ、「擬似的な才能に騙されている人が多いのではないか」というものです。
 例を挙げて説明してみます。ここに色々な音ゲーを触ってきたAさんと、音ゲーを一切触ったことのない初心者のBさんがいます。この2人が新しく稼働した音ゲーをプレーするとします。この時、早く上達すると予想されるのはAさんですよね。なぜなら、Aさんはこれまでやってきた音ゲーから類似した要素を取り出してきて新しい音ゲーに適用することが出来るからです。
 ここで、1-1で述べたことについて戻ってみましょう。この時、AさんとBさんで得られる経験値は明らかに差があります。これを先ほどの経験値の計算式に当てはめてみると、AさんとBさんでは明らかにAさんの方が「才能」に対応している定数の部分が大きくなります。果たしてこれを「才能」と呼ぶべきでしょうか?答えは「いいえ」です。なぜならば、Aさんが早く上達している原因となっている「色々な音ゲーを触ってきた」という要因は自分ではどうにもできないものではないからです。
 このように、しばしば音ゲーでは本当は才能ではないものが才能に見えてしまう、"擬似的な才能"に惑わされてしまう場合があります。先ほど提示した例では、例が極端だったので気付いた方も多いと思います。しかし、現実ではある機種のランカーが新しい機種を始めて数ヶ月程度で新しい機種もランカーになっている、といった風にあまりにも異様な上達速度を示すことがあるので、この点を見落としてしまうことが度々あるかもしれません。しかしこれで「自分には才能がない」と落ち込むのはもったいないと思います。そこで自分は、「この人と自分ではこれまでの積み重ねの量が違うのだから、そういうこともあるんかな」程度に考えるようにしています。圧倒的な才能というのは時としてモチベを奪うことがあります。そのため、それに対する精神的な自衛の一種であると言えます。
2-2: 結局音ゲーに「才能」は必要か?
 最後に、自分の「才能」に対する考え方について書きます。自分は、音ゲーに『純粋才能』はあるが、かなりの部分が頭を使うことでどうにかなる、『モチベ才能』は欲しいと望んだ時に既に手に入っている」と考えています。まず、音ゲーに「純粋才能」があるかどうか。これはほぼ間違いなく存在します。誰でも弐寺のKKM*氏や、ボルテのLV.MINI氏のようになれる訳ではないので…
 では上手くなりたいけど「純粋才能」がない人間は音ゲーをやるべきではないのでしょうか?いいえ、そんなことはありません。そもそも1-1で述べた経験値の式は、確かに理解しやすいですが、あまりにも上達を単純化しすぎているように感じます。実際の音ゲーの上達には他機種の経験値、練習の内容、精神的な面、周囲に上手いプレイヤーがいるかどうかといった環境的な面など多くの要因が作用しています。つまり、獲得経験値を増やす方法は「経験値の式の定数部分が大きい」だけではないということです。
 では、その獲得経験値を「純粋才能」以外の面から増やすためにはどうすればよいのでしょうか?そのためには「頭を使って考え続けること」が非常に重要であると思います。頭を使わずになんとなく音ゲーをやっている人は多いと思います。というか本来音ゲーを趣味として楽しむ、というのはそういう事のような気もしますし…しかし、上手くなることを優先したいのであれば、頭を使いましょう。ゲームセンターからの帰り道で、「今日は調子が良かった、もしくは悪かった」「この譜面が苦手なのはここができてないからだ」「こういう配置が苦手だから次からそういう配置の出てくる譜面を練習しよう」みたいなことを少し考えるだけでも変わってくると思います。
 

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↑設定があ○○なみたいって一時期話題になってた某えっちやねゲームの1シーンです。結局上手くなりたいなら、それだけの努力をする覚悟をしないといけないよねという話。
 
 次に「モチベ才能」についてです。これは「純粋才能」とは異なり、ないからといって苦しむ人は多分いないのではないかと思います。なぜなら、「モチベがないけど音ゲーをやらなくてはいけない」という事は基本的に起こりえないからです。音ゲーはあくまでも趣味であり、義務ではないので、やりたくなかったらやらなければいいと思います。とはいえど、モチベの管理も上達には重要なので、上達していくうえで精神的な面についてもたまには考えてみる事をお勧めします。これは自分が日ごろから言っていることなのですが、「音ゲーを上手くなって何を成したいのか」というモチベの根幹となるものを持っておくと、精神的にかなり強い土台ができるのでおすすめです。
 
3: おまけ
 別の記事の方で、音ゲー全体に共通する上達方法の話も書いているのでそちらもよければどうぞ。(メンタル面の話が多めです)