やまそうの音ゲー紀行

音ゲーに関する幅広い話題について書きます(上達論多め)

【雑談】「上手くなりたい」という"呪い"

"やまそうです。

 

TLがまた音ゲー上達系の話で盛り上がっていたので、考えるモチベが爆上がりしてまた文章を書いています。今回も雑多な文章ですがお許しください。

 

発端はこちらのツイート。

これについて色々考えていたのですが、まず思いついたのが「効用」「コスト」の話です。例えば「音ゲーが上手くなって大会に出たい!」という人がいたとします。この時「効用」は「大会に出る事」、「コスト」は「大会に出られるくらい音ゲーが上手くなるのにかかる労力」となります。これは音ゲーに限らずですが、人はこの効用とコストを天秤にかけているのではないかと思います。もちろん、人は完全に合理的に動くとは限りませんし、そこまで見通しを立てられる訳ではありません。上で示した例でも「大会に出られるくらい音ゲーが上手くなるのに必要な労力」を見積もるのは不可能です。しかし、ある程度理にはかなった考え方ではないでしょうか。

 

音ゲーがゲームである以上、究極的な目的は楽しむことに帰着する」というのは個人的に正しいのではないかと思います。上達するために今苦しい思いをしている人も元々は「上手くなって~したい」という目標が存在したり、はたまた上手くなる事自体が楽しいからやっている訳で、苦労しても何も得られないゲームだとしたら誰も遊ばなくなってしまうのではないかなと思います。

 

裏を返せば、「効用を十分に得られるならば上手くなるのが最適解とは限らない」という事が言えます。確かに上手くなればなるほど得られる効用は増えますが、上手くなるだけが必ずしも音ゲーのアプローチではないと思います。曲や譜面について誰よりも詳しくなるとか、創作活動をして音ゲーに関わるとか、音ゲークラブイベントに参加してみるとか。ゲームとの付き合い方は本来多種多様であるはず。これは自分も普段言っていることなのですが、「上手くなることそのものは手段であって目的ではない」というのは広めていきたいですね。上手くなって何を成したいのか?というビジョンを持っておくと無用な他人との比較を避けられて精神的な自衛になるのではないかと思います。

 

と↑でそれっぽい事を述べましたが、こういう事を言うと怒られそうですが正直に言うと「楽しむことを重視するのは一種の"逃げ"ではないか」と思ってしまう自分がいるのも事実です。とは言え自分の実力に限界を感じて上達を諦めた音ゲーマーの事をとやかく言うつもりは一切ありません。音ゲー上手くなるのってしんどいもんな…

 

もちろん上達することと楽しむことが両立できれば理想なのですが、残念ながら現実はそう簡単には行かないのもまた事実…指の独立性の低さ、認識力の低さ、決定力のなさに失望した経験は幾度となくありますし、真剣に音ゲーに向き合った事のある方なら納得していただけるのではないかと思います。

 

ではしんどい思いをしながらでも自分のように音ゲーをやってしまうのは何故でしょう?これについて自分は「上手くなる事によって得られる効用が大きすぎるから」ではないかと考えています。ようは上達の喜びを知ってしまった人たちって感じですね。上達の喜びが大きすぎて、そのためならどんな苦労も厭わなくなってしまうのです。なんか言い方が依存症の人っぽく聞こえてしまいそうですが、苦労したあげく、自分が設定した目標に届かなくてメンタルが破壊される人っていうのはたくさんいるのではないかと思います。そういう点で、「上手くなりたい」という思いはある種の"呪い"なのではないかと思います。正しい付き合い方をすればモチベの燃料になる反面で、下手をすれば上手くなりたいのに上手くなれない焦燥や周りに置いて行かれているという劣等感に心を蝕まれます。どういう風にこの気持ちと付き合っていけば良いんだろう…というのは今後の課題ですね~

 

今回はこれで。

 

それでは~